希望を持っての介護生活の日々

昨年、突然私の父親が脳の病気に倒れ、診断から2週間程度で手術という事が決まったので、母や私は何も計画したり、考えたりする猶予もなく、即父の手術に入りました。

 

医師の説明では、術後は1カ月くらいはベットの上でのリハビリが続いて、2ヶ月後からは歩行のリハビリに入れるという説明がありました。

 

しかし、実際のところ術後は思ったよりも左半身の麻痺が強く、舌にも麻痺が出ていた為に、流動食ですら誤嚥する可能性が高いと判断されて、食事が出来る様になるまで約2ヶ月半以上かかってしまった為に、リハビリを始めることも予定よりもぐんと遅れました。

 

脳の手術のリハビリは半年が勝負と聞いていたので、術後のリハビリが遅れた事は私たち家族にとって、のちのち大変なリスクとなりました。

 

脳の手術をした病院は救急指定されているため、長居ができない為、術後3ヶ月の時にはリハビリ専門の病院へ移りました。

 

リハビリ専門の病院では自力で立ち上がること、歩行、段差の登り降りなどを徹底的にリハビリしてくださったので、入院期限の半年内ではギリギリ杖ありでは自力歩行などができるようにまで回復が出来たので感謝でした。

 

しかし、その後自宅へ連れて帰ってからは、思っていた以上に介護は最初の頃は大変でした。

 

その大きな理由はまず、第一にやはりトイレの問題です。昼も夜も基本おむつを着用させておりましたが、自宅へ戻ってからはおむつを凄く嫌がりました。

 

次に、さっきトイレへ行ったばかりなのに、またすぐにトイレへ行きたいと言う事が頻繁に起こりました。

 

トイレの事は私には言わずに、母にだけに言うので、帰宅して1週間が経過する頃にはトイレのことで母が疲れ果てていました。

 

就寝している時は朝までおむつが取れないからねと!母が何度説明しても、夜中にトイレへ行きたいと言っては母を起していたので、夜中も熟睡ができない状態が暫く続きました。

 

次に性格が以前より攻撃的になった部分がありました。

 

それは最初に医師から説明を受けていましたが、病院に居る間は父は多少の気遣いができたのか?医師や看護師に対してはそこまで我侭をいう事は無かったのですが、自宅へ戻ってきてからは、どんどん我侭になりました。

 

また母に対しては暴言を言ったりするので、母はとても悲しんでいる事もありました。

 

私は自分の家庭もあるので、毎日実家へ泊まれるわけではないので、少し安定してからは自宅と実家の行き来の生活になりましたが、退院後は等級を下げられましたが、1級を認定されておりましたので、ヘルパーさんに助けてもらう事もありながら、とにかく1年間は母と2人で頑張ろうと励まし合いました。

 

自宅でのリハビリ生活が約半年くらい経過した頃には明るい兆しも見え始めました。

 

父はスポーツが大好きなのですが、特に野球観戦が好きなので、テレビでプロ野球を見ては涙して、また球場で観戦したといい始めました。

 

それまでは何に対しても興味や意欲が無かったので、野球を見たいと言う台詞は凄く嬉しかったです。

 

また旅行番組を見ては、また旅行へ行きたいとも言い始めまして、時間はかかりますが、杖を使って書店へ歩いて行って、旅行の雑誌などを購入しに行けた事も大きな進歩でした。

 

今年はリハビリに専念して、来年には家族で旅行へ行きたいねという目標を立てる事にもしました。

 

目標を自分で紙に書いて、その紙を貼って毎日眺めることで、リハビリ効果が上ると介護士の方にも言われたので、今後はどんどん父の目標を紙に書いてもらいたいと思っています。

 

昨年の初めは父はどんな風になってしまうのか?不安でしかありませんでしたが、今は介護の先にも少しの光と希望が見えるような気がしております。

 

 

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介護はその人の人間性を好きになれるかなれないかに尽きる

 

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