私にとって、介護とは?と訊ねられたのならば、それに当たる存在というのは自分の父親の事になります。
まだ60代の後半の年齢である父なので、その位の年齢ならば今の時代、まだまだ人の手を借りずとも何不自由なく暮らされている方も多いのかと思いますが、我が家の場合、父が60代の前半に職場で脳梗塞で倒れるという事があった為、遡ればその時から介護というのは始まっていたのだなと感じます。
当時は入院の世話としか思っていなかったのですが、他の病気と違って、脳梗塞で倒れた当時の父は呂律も回らなくなる言語障害も出ていましたし、利き手が不自由になってしまったので、看護というよりはもう介護だった気もします。
リハビリで、以前のようにとはいかずとも不自由ながらも一応は文字も書けるという所まで回復して、幸いだったのは足が不自由にならずに済んだ事もあり、一見そこまでの介護は必要ではないようにも思われるかもしれませんが、その脳梗塞で入院をした事をキッカケに、甲状腺の癌と肺への転移も見つかってしまったので、脳梗塞で一見落着とはいかなかったんです。
甲状腺からの転移だった為に、その場合の肺への転移ですと、年齢にもよりますが進攻はとてもゆっくりだというお医者さんの説明通り、手術をして取り切れなかった癌があるにしても、癌が見付かってからもう五年は経っていますが、今すぐにどうのこうのという事にはならないと通院する度の診察結果で言われてはいるのです。
でも、甲状腺の癌が声帯の方にも転移していた為、父は声帯をとってしまっているので声を発するという事ができなく、それに加え、リハビリはしたにしても、スラスラと文字が書けるというわけでもないので、意思疎通という面では中々苦労をする所もあります。
足も、歩けるには歩けても、スタスタと歩けるわけでもありませんし、本人にしか感じる事が出来ない見えない後遺症というのもあるようなので、全くの介護無しで一人で暮らせるのかと言ったらそれも難しいのです。
母も居ますが、母と父は年齢差が9つもあるので、まだ母は仕事もしていますし、私を含めた兄弟もいますが、皆仕事をしながら交代しながら世話をしていたのです。
ただ、介護認定が1から2に上がった辺りを境に、介護保険というのを使えるだけフルに活用しようと方向転換をしたんです。
入院時からずっと、少しずつそれぞれに見えない疲れって溜まっていて、一番若いはずの私が真っ先にある日突然疲れがガタっと来てしまったんです。
一番辛いのは父のはずでしょうが、やっぱり介護疲れって目に見えなくとも蓄積されていたんです。
ウツ病までとはいかなくとも、少し近い所までいき、睡眠障害でしたり何気なく乗って通勤していたバスに乗れなくなって、乗ると気持ちが悪くなってすぐに降りてしまったりと、全く介護とは関係ないような症状なのですが、抱えていたストレスが原因だと初めて行った心療内科で言われたんです。
三人いる子供の中で、私だけが女という事もあり、兄達よりも入院中に病院に寄ったり父の面倒を見る事って実は多かったんです。
しかも、ちょっと過ぎた忘れた頃にガクンと来る、というのか介護病みたいな事が身に起こるなんて正直思ってもいなかったんです。
私は、あまり疲れをギリギリまで出さないという、良いようで悪い癖があったりもして、そんな性格が余計に拍車をかけていたのかなと思いもします。
その私の事と、父の介護認定2となった所をキッカケに、ヘルパーさんに週の半分以上来てもらったり、ベッドも介護用のベッドを設置してもらったりと、使えるだけの介護保険というのをめいっぱい利用させてもらい、家族では無い人に介護を手伝ってもらい始めたら、父にとっても私達家族にとっても何だか少し心に余裕ができ始めたんです。
家族だからこそ、心配心と、迷惑を掛けたくないという気持ちで、お互いに気を遣いすぎて、それが逆にストレスともなっていたんです。
それを外から空気を入れたみたいに、介護をお願いするようにしたら、風通しが良くなった見たいに力みが取れたんです。
お陰で、何だかんだで快適そうに父は今も長生きをしてくれていますし、私達家族も笑う事が多くなったように感じます。
なので、疲れる前に、私達もちゃんと調べるまではヘルパーさんを付けたりすればお金がとても掛かって生活を圧迫するのかと思っていた所もあり、なるべく自分たちで頑張ろうとしていたのですが、よくよく調べると、条件等ももちろんありますが、手助けをしてもらえる事も多かったりしたので、まずはよく調べる事がとても大事ですよと同じように家族の介護に携わっている方々には言ってあげたいです。
介護イコール、全てがマイナス面とは限らないです。
全部全部を正義感で抱えてしまうから、きっと後から反動が来て、結局は悪循環となってしまうのです。
なので、長生きをしてほしい人だからこそ、ちょっと自分達にも余裕を作って良いのだと思います。
悪く言ってしまえば、手抜きをしてしまえば良いのです。
それが案外、その相手にとっても楽にしてあげる事なのかもしれないなって、私は考えています。