きっかけ
3年ほど前から祖父を自宅で介護しています。
祖父の娘である私の母は元々体が弱く力もないので介護には向いておらず、デイサービスや老人ホームには行きたくないという祖父の主張を尊重し私が自宅で担当することにしました。
祖父には今までお世話になってきたこともあり、祖父孝行の意味ではじめたのがきっかけです。
祖父は幸い寝たきりではなかったですし認知症も発症していなかったので、当初はそこまで大変と思ったことはありませんでした。
ベットの上ですが座ってご飯も食べれましたし、部屋に設けた簡易トイレなら歩いて自分で行けていました。
週に何回か昼間はヘルパーさんに頼んでいたので、私の負担もそこまでではありませんでした。
介護をするうちに
とくに苦に思わなかった介護でしたが日を追うごとに疲れることも多くなってきました。
というのも私は会社勤めもしているので合間をぬっての介護でした。朝も祖父のために早く起床する、帰宅後も自分が休息する前にまず祖父のことをすべて終わらす、翌日仕事があっても夜中に祖父に起こされたりもしました。
休日も介護に費やし、介護のせいで友人達と外出することができなくなったのが一番の苦痛でした。
祖父が自分でできることが日に日に減っていくのも原因の一つでした。オムツをはめるようになりましたし、ご飯も介護食のようなものを分けて作るようになり、自分の足で歩くことを諦めて車椅子に頼ろうとする祖父にも腹が立つようになりました。
少しでもデイサービスなどを利用してくれれば私もリフレッシュできたかと思いますが、祖父は頑なに行ってはくれませんでした。
ストレスも限界で、祖父の介護をしたいのに優しく接したいと思っているのに、心とは裏腹にどんどん祖父にキツくあたる自分がいて、ケンカすることも増えていきました。
2人とも我が強いので怒鳴り合いになることもありましたし、祖父を一人残して家を飛び出したこともありました。
あんなに大好きなおじいちゃんだったのに、今では大嫌い。と思ったりもしました。
その名の通りのヘルパーさん
先の見えない介護に私は疲れ果てていました。
ある日も同じように祖父と言い合いになっていた時のこと、その日はヘルパーさんが来る日でした。普段からヘルパーさん達は自由に入れたので、気づいた時には目の前にヘルパーさんがいました。
あの時のヘルパーさんの顔は一生忘れません。悲しそうなでも介護の現場にいるヘルパーさんだからこそ理解できるような、何とも言えない表情を見て我に返りました。
でもこの出来事が転機になったのです。
外ズラがいい私たちは家庭での問題をなるべく隠そうと、今のこの状況をヘルパーさん達に話すことは決してなかったですし、ヘルパーさん達もいつも優しいおじいちゃんに理想の孫と思っていたようでとても驚いたようでした。
だからこれからはもっとヘルパーを頼って利用してほしいと言ってもらえた時は涙が止まりませんでした。
それからはヘルパーさん達が間に入ってくれることが多くなりました、祖父への不満はヘルパーさん達に言うようにしましたし、本当はダメなことかもしれませんが生活援助と身体介護のお仕事をしに来て頂いているヘルパーさん達ですが、祖父との会話に時間を使ってもらったりもしました。
その時間は祖父にとっても有意義だったようで、介護が必要になってから暗くなる一方だった祖父も少しずつ明るさを取り戻し、冗談なんかも言うようにもなりました。
私が子供だった頃の大好きなおじいちゃんが戻ってきたようでとても嬉しかったです。心に余裕が出てくると今まで冷たく接していた祖父にも優しくできるようになるので不思議です。
介護は一人で抱え込まないで、とよく聞きますがまさにその通りだと思います。
一対一の毎日では絶対に亀裂が入ります。だからそこに第3者が介入することが必要です。頼れる人がいる、話を聞いてもらう、十分頑張ってるよと言ってもらうそれだけで救われます。
私と祖父の関係もヘルパーさんが仲に入ってくれることでだいぶ改善しました。
色々ありましたがやはりまだまだ健康で長生きしてほしいので、ヘルパーの方々に助けてもらいながら介護を楽しむような気持ちで2人の時間を大切にしていければと思っています。