施設へ預けることは介護放棄ではありません 距離をとるために必要なことです

 

 

よく介護は大変だと聞きますが、私は何がどう大変なのかいまいちピンときませんでした。

 

他人ならまだしも家族の介護なのだから、そんなにストレスはかからないだろうとさえ思っていました。

 

しかし実際に肉親を介護するようになって、想像していたものと全然違うことに戸惑いを隠せません。

 

大変の一言では済ませられない感情が、頭の中で常に渦巻いています。

 

その渦巻く感情との葛藤が本当に辛くしんどいです。

 

それは「肉親だからこそ」抱く葛藤でした。

 

介護の始まり

 

父方の祖母の介護が必要になったのは、私が22歳の時でした。

 

社会人になったばかりで毎日がせわしなく過ぎていきました。

 

父方の祖父母とはずっと同居しており、祖父は早くに他界しました。

 

祖父が亡くなっても祖母は「人の世話にはならない。」というのが口癖でした。

 

戦時中を強い気持ちで生き延びてきた祖母のプライドが垣間見えた瞬間でした。

 

しかしそんな矢先、祖母が畑で転び大腿骨を折る大怪我を負いました。

 

直ぐに入院し手術となりましたが、恐怖からか祖母は歩くのを嫌がるようになりました。

 

そこから一気に祖母の様子が変わりました。

 

認知症とみられる症状が出てきたのです。

 

昨日のことは愚か、さっきしていたこともぼんやりとしか思い出せないようでした。

 

足のリハビリを少しずつ行い、めでたくも退院できるまでになりましたが、今までのようには生活できないので、家族で祖母を介護することになりました。

 

介護の中心となったのは母親でしたが、母は日に日に疲れが顔に現れました。

 

祖母の物盗られ妄想

 

退院してから祖母は人が変わったようになりました。

 

いつもせわしなく何かを探している様子で、眉間にシワを寄せながらブツブツとひとり言を話しています。

 

そしてよく私に「物がなくなった」と訴えるようになりました。

 

それは財布だったり、アクセサリーだったり、通帳だったりと様々です。

 

特にお金がないと言うのは頻回に言われたので、正直どうしたらいいかわからず対応に困りました。

 

そして失くし物を訴えてくる時、決まって「誰かが盗んだ!」と断定します。

 

聞いていて気持ちのいいものではありませんし、私は曖昧に笑うだけでした。

 

介護で家族の心がボロボロに

 

平日は母親が介護をしていたので、土日は出来るだけ私が介護をするようにしていました。

 

でも祖母からは「ありがとう」の言葉を一度も言われたことがなく、いつも不満ばかりぶつけられました。

 

母のことを悪く言う時もあり、私がさりげなくフォローすると祖母は怪訝そうにしていました。

 

その頃は排泄の介護も必要になっていたので、オムツを変えたり服を着替えさせたり、食事の介助もしていました。

 

週に1~2回の介護でも精神的にぐったりしました。

 

何時間も悪口や嫌味などをぶつけられると心が蝕まれていくようでした。

 

まだ私の場合は数時間の辛抱ですが、母は毎日一緒にいなければなりません。

 

それは相当なストレスだったと推測します。

 

母は穏やかな性格なので、祖母から犯人扱いされても、いつも優しく諭していました。

 

そして祖母に憤慨する私にも注意をしました。

 

そんな責任感の強い母だったので疲労がたまり体調を崩してしまいました。

 

そんな中でも祖母は、オムツを替えろとか財布を返せなど容赦なく罵声を浴びせました。

 

そんな祖母に堪忍袋の緒が切れた私は、祖母についきつい言葉を放ってしまいました。

 

案の定祖母はわめき散らし、周囲に広めました。

 

その時に介護の壮絶さを思い知りました。

 

頭を抱えた父が母や私と話し合い、祖母は施設へ預けることになりました。

 

すると心が急に軽くなり、感じなくなっていた感情を取り戻すことができたのです。

 

介護は、相手が身近であればあるほど大変です。

 

どうしても感情移入してしまうからです。

 

施設へ預けることは、決して介護を放棄することではありません。

 

距離をとるためには必要なことです。

 

罪悪感など感じないで、自分が自分らしくいられる方法を考えてください。

 

コメントを残す