「何でもやってあげる」ではなく「できることは任せる」

私が両親と同居を始めたのは、父が71歳、母が68歳の頃でした。

 

どちらも元気だったのですが、私が離婚を経験したことで実家に戻り、一緒に暮らすことになったのがきっかけでした。

 

そこから、それほど体調の悪くなかった母の様子が変わって行きました。

 

認知症というか、その一歩手前だったのです。

 

毎日のルーティンが抜けたことで、自分をコントロールできなくなった母

私が実家に戻るまで、家事のすべてをまかなっていた母について、何もできない父は申し訳なく思っていたようです。

 

そこで、できればしばらくは外へ働きに出ず、家のことを手伝って欲しいとのことでした。

 

離婚で心身共に疲れ果てていたため、父からの申し出は嬉しかったです。すぐに社会人として会社のしがらみにまかれる気力も体力も、そのときの私にはなかったためです。

 

私は仕事を探すことはせず、家事を手伝うようになりました。

 

朝の支度は母、掃除や洗濯、お昼の支度は私……と、出来る限り力仕事や母が大変だろうと感じていることを引き受けたつもりでした。

 

母からも感謝されていたのですが、そのうち変化が起こりました。

 

母が、家事をできなくなったのです。

 

料理の手順が抜けたり、洗濯が最後までできなかったり、買い物をすっかり忘れたりし始め、言葉もおぼつかなくなっていきました。

 

包丁を落とすことも増え、晩ご飯の支度も手伝うことにしました。徐々に火を使うのも怪しくなり、火加減は私がみることにもなりました。

 

変化は急激でした。一緒に暮らし始めて3か月ほどで、母の様子は変わっていきました。

 

決定的だったのは、ご飯は炊いておくからというので私が買い出しに行き、家に戻ると真っ暗でした。

 

驚いて慌てて家に入ると、リビングの真ん中で母がぽつんと座り込んでいました。

 

私を見上げ、何事もないように「どうしたの?」と言って来た母の顔は忘れられません。

 

ルーティンを戻す=母の負担が元に戻ることへの抵抗

すぐさま病院へ行き、診断を受けると認知症の症状を疑われました。

 

先生が仰るには、母の場合は毎日のルーティンがすでに決まっていて、その順序通りに生活することで迷いなく家事がこなせていたのではないかということでした。

 

そういうタイプの高齢女性は多いそうです。特にあまり外に仕事に出ず、専業主婦を長く続けている方に多いかもしれないとのことでした(あくまでもその先生の見解です)。

 

母は60歳で定年してからずっと専業主婦だったので、8年の間に出来上がったルーティンがあったのだと思います。

 

元々の生活に戻れば回復するのでは、ということで、お薬などは処方されず一旦帰宅となりました。

 

そこから、私と父が悩むことになりました。

 

せっかく母の体力的な負担を減らそうと私を家に置いた父。その父に賛同し、家事を手伝っていた私。

 

元の生活に戻るということは、母にまた改めて大変な家事をこなしてもらうということです。しかも、認知症に近い症状がすでに出てしまっている状態だったため、余計に悩みました。

 

でも、今の状況が決していいわけはなく、相談の結果、私が手伝う家事を大幅に減らし、外に仕事にも出て、母に家事のやりがいを取り戻してもらおうとなりました。

 

ルーティンが戻って、あっという間に回復した母

病院から戻ってすぐは、やはり日常生活も含めて介護をせねばならず何度も手を貸しましたが、私がひとつずつ家事を手伝わなくなると母の回復はものすごく早かったです。

 

ルーティンがどれほど大事なものなのか、見た瞬間でした。

 

洗濯したまま、脱水を忘れることも干し忘れもない。

 

実は自分の着替えさえおぼつかないこともあったのですが、言う前にきちんと着替えられるようになりました。

 

私が家事を手伝い始めて3か月くらいでおかしくなったのですが、家事を手伝わなくなって3か月ほどで元の母に戻りました。

 

回復にも、同じだけの時間がかかったことになります。

 

あれから数年経ち、母も70歳を過ぎましたが今でもそれほど手伝うことはありません。

 

ただ、買い出しの重たい荷物だけは私が持ちます。

 

足腰が弱って来ていることは感じているので、転倒防止や骨折防止です。

 

先生のアドバイスもあり「手伝って」と言われるまでは「待て」と言うことで、先回りして色々なことを片づけてしまわないようにしています。

 

元気でいてくれるのが1番なので、やりすぎない介護を心掛けています。

 

 

認知症の初期症状と接し方の注意点

 

 

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