自己紹介と介護への簡単な経緯
31歳男性、会社員をやっています。
私は1年前から、病気の後遺症で苦しむ父の介護をするようになりました。
私に結婚歴はありますが現在は独身、実家で過ごしています。父の年齢は68歳で、母は既に他界しています。
父は66歳のときに脳梗塞で倒れ、以来右半身に障害が残りました。
もともと介護施設の方に入居しリハビリに励んでいたものの、他の利用者の方とトラブルになり、私がほぼ全ての世話を請け負うこととなったのです。
最初は楽観視していた介護でしたが・・・
こうして1年前から、父の介護をしています。
今の率直な感想を述べると、とにかくしんどいの一言です。
しかし当初は体力にも自信があり、父の関係も良好なため余裕でこなせると考えていました。
認識が甘かったのでしょう。
辛く感じ始めたのは、介護開始から1ヶ月ほどしてからです。
年のせいもあるのか、父は夜中にトイレに行く機会がとても多いです。
オムツなどをするのは嫌っていたため、都度トイレまで支えてあげなければいけません。
この影響で睡眠不足になってしまい、仕事へ影響が出るようになりました。
そして職場では気を遣わせないように父の介護を隠していたため、当然残業や飲み会の話も出てきます。
それをどう断るのか、或いは短く済ますのか、そのことにも頭を悩ませました。
1ヶ月介護をすれば、身体的な痛みも色々と襲います。特に酷かったのは右肩の痛みで、これは父を右肩で支えて移動する機会が多かったからです。
食事、排泄、通院など、いつも父の体重を受けていたのは右肩です。
気が付くと直立不動の状態でも、自然と右肩が下がるようになっていました。
父の性格の変化
介護が辛いと思うようになったのは、父の性格の変化も影響しています。
脳梗塞の後遺症で、以前よりも短気になってしまったのです。
それこそ定年前までは、誰ともトラブルなど起こさない温和な人で知られていました。
それが驚くくらい怒りやすい人になったため、私も介護の仕方で文句を言われることが多くなってきたわけです。
望んでいたつもりはないですが、感謝の言葉を言われるシーンも減ってきました。
最初は実の息子に介護をされる現実を、とても後ろめたそうに感じていたのです。
ところが1ヶ月2ヶ月と続けていくうちに、父の中で当たり前になったのかもしれません。
私のことを気遣うことなく、注文をされることが増えてきました。
周囲の人の存在の大きさ
それでも心折れず介護を続けられたのは、周囲の人の存在があります。
特に隣の県に住む叔母は、1ヶ月に1度や2度のペースで様子を見に来てくれます。
どうしても自宅内で父と2人きりでいると、途方もない孤独感を感じることがあるのです。
ですから定期的に来てくれる人がいるという事実だけで、私の心は随分と救われている気がします。
あとは父がリハビリのために通っている病院の先生からも、とても勇気をもらっています。
この先生は、基本的にネガティブなことは絶対に言いません。必ず毎回リハビリの度に、父の良くなった部分を見つけてくれます。
きっと気休め程度で言ってくれるときも多いのでしょうが、プラスの方向に進んでいる気がして元気が出るのです。
介護疲れをしてしまう人の多くが、身近に相談できる相手がいないことが原因とされています。
私も自分が介護をする側に立ってみて初めて、その気持ちに共感できました。
こうした存在がいるかいないかで、本当に心の強さが変わるのだと思います。
介護を通じて父への恩返しを
介護から逃げたい、今日くらい何もしたくない、今でもそう考える日は山ほどあります。
ですが1年間父の介護をして、常に念頭にあったのは父への恩返しの気持ちです。
私は荒れた10代を過ごしていましたから、そのときに両親へ多大な迷惑を掛けました。
こうしたストレスの積み重ねが、脳梗塞を引き起こしたのだろうと今でも思います。
とはいえこういった過去を持ちながらも、父はずっと私を自分の息子として認めてくれていました。
この恩を返す形の1つが、介護なのではと考えます。
父も病気になってから、沢山のことを諦めました。その気持ちを汲めば、私の苦労など微々たるものでしょう。
寧ろもっと頑張らなければと、最近では意気込めています。
同じ境遇の皆さんへ
1年間の父の介護で分かったのは、自分1人の力でできることは限られているということでした。
ですから同じような境遇、悩みを持つ皆さんも、是非周囲に助けを求めながら介護と向き合ってください。
悲鳴を上げること、荒んでしまうこと、これらは決して恥ずかしいことではないのです。
周囲で相談できる人を早めに見つけて、心の拠り所にしてください。
私も父が今より更に元気になれるよう、毎日頑張っていきます。