祖母を介護しています。
私と父、祖母の三人住まいで、父と私は日中はフルタイムで働いております。
母はおりませんので、必然的に家の中の家事は祖母と私がすることになります。
祖母は、三年前に水頭症の手術を受けるために入院しました。
それ以前からも足元がおぼつかなく、杖などの補助用品がなければ歩くことがつらかったのですが、手術後、特にそれが顕著になりました。
歩行は若干改善されたのですが、あるときふらつき、転んだころからどうにも一人で出歩くのが怖くなり、あまり出歩きたがらないようになりました。
家の中の移動は特に問題ないので、日中私や父が働いていても自分のことは自分でなんとかできるのですが、どうにも億劫がり、座りがちになりました。
出歩かなければ、筋力は次第に落ちていきます。次第に、失禁がひどくなるようになりました。
楽しみにはテレビに固定され、敬老会やサロンなどの地域の催し物などにもお誘いは受けるのですが、泊りがけのものには外出したがりません。
自分が粗相することが恥ずかしいらしく、外食なども断るようになりました。
手術をしてからあれやこれや、と私が世話を焼いていたこともあります。
退院直後は体の負担がつらく、何をするにしてもつらそうにする祖母の世話を、一心に行っていました。
このころにはまだ、弟妹が家にいたために、家事が分散され、手を貸す余力があったことも一因です。
ですが、二人が進学や就職のために家を出れば、一気にその負担が私にのしかかりました。
炊事、洗濯、掃除。まだまだ七十ほどの祖母です。リハビリは大切に、とお医者様からも言われていたために、軽い窓ふきなどは祖母にもお願いしておりました。
しかし、失禁すること、長年出歩かなかった不精のせいでしょう。
筋力が弱った祖母は、そういった家の中の仕事でさえもやりたがらなくなりました。
病院ではリハビリの時間が設けられ、デイサービスなどでは運動しているから、と家の中での毎日の運動を嫌がるようになりました。
冬の寒さ、夏の暑さなどがつらいと体の不調を訴える以上、こちらも無理強いはしたくなりません。
なら、体調がいい時に、と濁しているうちに、祖母は、本当に出歩かなく、それと比例して失禁、失便が増えました。
そこでようやく、本人にも自覚が芽生えたのです。
どうして、手術はしたから治ったのにと困惑している祖母に、体力不足の筋力不足だと私は訴えました。
尻の筋力など、下半身の筋肉は運動しなければ即座に衰えます。
それが老年の方ならばなおさらです。普段から動かなければもとより筋力は最低限です。
括約筋が衰えているのだと丁寧に訴えれば、愕然とした様子でした。
つらいからといって動かなければ、それは自分に跳ね返る。
どれだけ恥ずかしがろうが、排せつしないで人は日々を過ごせません。
嫌がって運動しなかったからだよと言えば、いまさらながらに後悔したようでした。
今、祖母は以前と変わらずおむつをして生活をしています。
懇々と諭されてから態度が変わり、私が散歩などを示さなくとも、天気が良ければ自分で歩くようになりました。
毎日ではありませんが、徐々に、徐々に自分のために、と体を動かすようになっています。
それでも、一度衰えた筋肉は、そうそう簡単には戻りません。
使用するものは長時間用の、大量に吸収できるものですし、寝ている間に大便を漏らしたこともあります。
ここでようやく、自分がどんな状態なのかを認識できるようになったといいます。
最近、しきりに祖母は言います。もっと外に出ていればよかったね、と。
後悔してからでは遅いとよく言いますが、その通りでした。
足の筋肉が衰えてからでは、以前のように思うように動けませんし、不自由も多いのです。
健康のためにという枕詞ではなく、実体験として将来を目にしている感覚になります。
本当に、日常の運動は大切だと身に染みる、そんな日々を過ごしております。